2014年12月26日金曜日

「抽象の墓場」かあるいは生物としての連帯か。

いやがおうでも、ひとが ひょんと死んでしまう事態に

直面することになった。 軟着陸のために、「多死社会」という用語がどこからともなく

用意された。

ところで、ある種の人は、人の不可解な難病や死や、突然死を、興奮した様子で数えている。


みとめたくないけれど、そういう事態なのだ。核惨事下にあって、もっとも驚愕したのはこのことだ。

人が、人の死ぬのを、喜ぶ。 

楽観論者が、危険論(=現実論)者について、時折まゆをひそめるのは、この不謹慎さに

よるものだ。


なので、あえて、物騒で 不謹慎な問いをたててみる。

たとえば知人や、友人が

事故後にあのときあんなことをいって、自分を嘲笑ったりした人間が、

じぶんの警告を無視して、あんな行動をとった人間が死んだとき、

どういう感情をいだくか、ということを創造してみる。

かなしめるだろうか。 あるいはその死を、

自分の正当性の証明として、よろこぶのだろうか、と。


「だから、いわんこっちゃない」

そう、よろこぶことには、被曝の危険に対する畏怖と、自己予測があたった

事に対する、よろこびを含んでいる。

一方で、現実的に「あんな行動」によって亡くなってしまったのだから

じぶんが忌避している当の核によって 一人殺されたことにもなる。 

自己是認と他者の扼殺が表裏だ。


そんな問いをたてなくてはならないほど、核惨事は残虐だ、ということだ。

扼殺の時間が、くりのべられているために、おおくの人はそれと気づかない。


この、まのびした残虐さを前に、ひねくれた興奮、でおわるのか。


あるいは、あえて「抽象の墓場の前」で泣くのか、あるいは「生き物としての連帯」

の道を、さぐるのか。



 ----------

1918年、私の母の弟を含め、4000万人~1億人もの命を奪ったインフルエンザの大流行があった。このような災厄の時期に、ひとりひとりの苦しみを思い描くのは難しい。
世界大戦や飢饉などの大災害では、死は我々の感情では、理解できない種レベルの出来事にまで集団化される。

 その結果、被害者は二度死ぬことになる。

 彼らの肉体的な苦しみは、ひとりひとりの人格が大惨劇という汚水に飲み込まれてしまうことによって、倍増するのである。フランスの作家、カミュはいった。「死んだ人間というものは、その死んだところを見ない限り広く史上にばらまかれた一億の死体など、想像のなかでは、一抹の煙にすぎない」

 人は、大勢の人の死を悼むことはできないし、抽象の墓場の前で泣き叫ぶこともできない。

ほかの社会性動物とは違って、われわれには、集団の死を悲しむ本能はなく、仲間の死によって自動的に生物学的な連帯感...が生じることもない。

それどころか、ひどい場合には、ペストや津波、大量殺戮、摩天楼の崩壊などで、
ひねくれて、ときに興奮すら覚えて、スケールの大きさに圧倒されたりもする。



                        マイク・デイビス 『感染大爆発 鳥インフルエンザの脅威』



2014年12月25日木曜日

第17回福島県健康管理調査検討委員会 4人 2巡目がん疑いに



今日、12月25日に開催。第17回「県民健康調査」検討委員会。これまでの「因果関係はない」の

いってんぱりの見解から、微妙な変化がみてとれる。

「甲状腺がんと診断が認定が確定すれば、原発事故後にがんの増加が確認された初のケースとなる」
「調査主体の福島県医大は確定診断を急ぐとともに、放射線の影響かどうか慎重に見極める」

(福島民友新聞 2014.12.21)


「チェルノブイリ事故から4~5年後に、甲状腺がんは急激に増加した」という見解があるけれど、

それを念頭においてかの、慎重なものいいになっているのかもしれない。


*また1巡目で「がん」診断が確定した子供は、8月公表時57名から、27名増え、84名。

「疑い」が46名(8月時点で46名)、24名に。





2014年12月7日日曜日

「意識は事故があってはじめて目覚める」 『アクシデントと文明』ヴィリリオ


放射性物質に対して気にしだしたひと、調べている人は、おぼろげながら感じているのでは

ないかと思う。 

政治的「不正義」「正義」の問題であると同時にいやそれ以上に、自分の意識と物質との

関係の「変容」という事態なのではないかと。


「またヴァレリーに耳を傾けよう。曰く、
 
“道具は意識から消えていく傾向がある。その動作は自動的になったと日常よくいわれる。
ここから引き出すべきは、次のような新たな方程式だ。

すなわち、
意識は事故があってはじめて目覚めるというものだ”

こうした無能ぶりを確認した結果として、次のような明確で決定的な結論に達する。
 
“やり直しや反復が可能となったものはすべて、おぼろげになり、黙り込む。

機能はもっぱら意識の外にある”」

                                『アクシデントと文明』ポール・ヴィリリオ

2014年12月2日火曜日

菅原文太さん永眠。 ありがとうございました。


菅原文太さんがなくなられました。反原発や沖縄反基地への応援、支援について

語られているようですが、

この場面はいっとう地味ですが、一番わすれられないひとこまです。

2013年夏。もと双葉町·町長の井戸川かつかたさんへの応援。

新宿の雑踏で、正直、お世辞にも、たくさんとはいえない聴衆を前にしたスピーチ。


開口一番、「低線量被ばく.......ということばをしっているかな?」と。

その他にも、巣鴨のとげぬき地蔵など、こまごまと応援にまわっておられたようです。

はなばなしいところだけでなく。

さいごのさいごまでかっこよく。 ありがとうございました。






2014年12月1日月曜日

「現実の彼方、またはまやかしの理想―原発を選んだ日本の核有事・住民移動管理政策」


“Beyond reality – or – An illusory ideal: pro-nuclear Japan’s management of migratory flows in a nuclear catastropheCécile Asanuma-Brice
つまるところ、「放射性物質からはできるだけとうざかる」「できるだけ浴びないようにする」が原爆被害、過去の核災害からの教訓であり、原則であるにもかかわらず。

なぜ、日本政府は許容線量を20ミリシーベルト/年間にまでひきあげた上で、
「帰還政策」を推奨するのか。

『現実の彼方、またはまやかしの理想―原発を選んだ日本の核有事・住民移動管理政策』
都市社会学研究のセシル.浅沼.ブリスさんによる力作
復興政策のキーワードになっている「レジリエンス」概念。日本財団(チェルノブイリで甚大な支援をおこなってきた旧「笹川財団」)の主催する「国際会議」でもこの「レジリエンス」がうたわれていました。
科学、都市工学、災害社会学、いろいろな文脈で使用されているようですが、てっとりばやくいうと、災害、トラウマなどからの人「回復する力」を重視するという概念。 
この間「復興政策」「国土強靭化政策」の中でも謳い文句にされてきました。
この使用は、「自然災害」と「人災/科学禍」との境界をかぎりなくあいまにしてしまう。

この概念を、原子力災害に適応すること、高線量地への「帰還」を推奨する
日本政府また、その背景にあるエートスプロジェクトなど、原子力シンジケートについても、
警鐘をならしています。

日・仏・英語版あり。必読
「神奈川大学評論」11月号に掲載


こちらは関連して
「福島への帰還を進める日本政府の4つの誤り-隠される放射線障害と健康に生きる権利」
旬報社  http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/939?osCsid=lg5iubto5011r0lj6r4rlaofo2




2014年11月29日土曜日

ギュンター・アンダース「核の時代のテーゼ」:大胆不敵な不安

ギュンター・アンダースは、ベンヤミンのいとこ。反ファシズムの非合法活動にかかわり、
戦後は原子力時代の幕開けに際しファシズム経験を軸に、
『異端の思想』『時代おくれの人間』はじめ、広島、長崎に関しても数冊の書物をのこしている。

カフカ研究のかたわら、ヨーロッパの反核運動のなかでロベルト・ユンクとともに「核の時代の」
哲学者とよばれる。
チェルノブイリ事故も見届け、1992年に亡くなった。

そのギュンター・アンダースが、1959年に残した「核の時代のテーゼ」という一文中に、
「不安について」というなんとも不思議な一説がある。

おそらく事故の前にもこのくだりには触れてれてはいたはずなのだけど、
すっかり忘れていた。

原発事故以降、「不安」「恐怖」こそが、まっさきに鎮圧の対象になった。

ひとたび事故が起き、もはや技術を操作できないと悟れば、政府も電力会社も即人間を操作する方向に力をそそぐのは、ある意味、原子力の本質なのだ。

だから、いまだに、というか来年度の「復興事業予算」でも、実際の健康対策以上の予算はびびたるものなのに、「不安解消事業」に莫大な金額が投入されている。(ホール・ボディーカウンターもここに計上されているのは、笑止。それがまじない、気休めだとみずから告白しているようなものだ)

それでもこんな状況で「不安」や「恐怖」は決して、完全に鎮圧しきれない。
ちょっと静かになったかな、このままみんな黙ってしまうのかな、と思っても
恐怖をよびさます現象や、出来事は一回性のものにはおさまらない。

あたりまえだ。 原因は、凶暴・凶悪な「核」なのだから。
そんななかで行儀よく、とりすましているられるほうがよっぽどの「狂気の沙汰」なのだと思う。


Theser zum Atomzeitetalter by Gunther Anders

不安について

生々しく「無」を表象することは、心理学における「表象」ということばで私たちが
イメージするものとは同じではない。

むしろそれが具体的に現実化するのは、不安としてである。

わたしたちの不安は小さすぎて、現実や脅威の規模にみあっていない。

ーーわたしたちはすでにずっと「不安の時代」に生きていた、というような、
知ったかぶりをする人々が好むフレーズとほど間違ったものはない。

わたしたちにそうしたことを吹き込んでいるのは、真の不安を、つまり危険性に
見合ったわたしたちのを不安を感じる能力に対してこそ、不安をもつ者たちを、
メディアであれこれもちあげるような手合いにほかならない。

むしろわたしたちははるかに、無害化された不安、不安を抱くことの無能力の
時代に生きている。

したがって私たちの表象力を拡大せよ、という命法が具体的に意味するのは、
わたしたちの不安を拡大しなければならない、ということである。

命題

・不安に対する不安を抱くな。
・不安への勇気をもて。不安を引き起こす勇気も。
・自分自身にも隣人にも不安を感じさせよ。

もちろんこの種の不安は、次のように非常に特殊なものでなくてはならない。

1.大胆不敵な不安。私たちを臆病ものとして嘲弄する者に対する不安とは無縁だから。

2.活気をもたらす不安。わたしたちを部屋の片隅にではなく街角へと駆り立てるものであるのだから。

3.わたしたちに降りかかりうるものだけでなく世界についての不安をもたらす愛をともなう不安。


「核人間/ホモ・ニュークレアリウス」あるいは,牧人司祭権力


3年以上たってやっと核惨事下で進行中の事態を「思想化」する糸口をつかもうとしているひとたちの趨勢がうまれつつあるようにおもう。姿はみえないのだけど、そうした人たちの存在は、確実に「遍在」している。


----「意識は“事故”があってはじめて覚醒する」 ヴァレリー ----


思えば事故当初から、少なからぬひとびとが、徒手空拳でこの事態にむきあった。
物質の具体性を、出来事の具体性を、時間の不可逆性を把握しようと、知覚を研いだ。

現状を否認したいがための予見、たかをくくったような逆ばりのレトリック、
しがらみや、習い性、思考の癖からでたことば。 具体性の裏付けのない抽象論は、
これからも、ぶざまに「現実」に裏切られていく。


いまも進行中の未曾有の事態にあっては、本来、だれしもがこの事態の<門外漢>なのだ。
だから徒手空拳であることに、てらいのない人間は、おそらく踏みまちがえない。


これは必読。

「天にまします我らが専門家よ 福島国際専門家会議をめぐる門外漢の考察」
http://csrp.jp/posts/1923
ナディーヌ・リボー、ティエリー・リボー


"原子力を続けるか否かという問題ではなく、原子力とともに生きていける人間をいかにつくるかという問題に解答をもたらし得るのは科学(技術、遺伝学、医学、心理学)しかないという議論——偽りの議論——なのである。まさに「ホモ・ニュークレアリウス(核人間)」の完成に向けた作業なのである"

核惨事下にあってわたしたちがおそれてきたのは、「物質」そのものであると同時に、「専門家」による、このしらじらしくもわざとらしい「操作」、社会演出そのものだ。科学ににせようとした、ことばのレトリックだ。

別のことばにいいかえよう。

「原発事故の際に、もはや技術を操作できないゆえに、人間を操作する方向に切り換えることは原発の本質からくる当然の帰結であると言える」  『チェルノブイリの雲の下で』

もともと凶暴・凶悪な「核兵器」を、社会のなかに「発電」と称してうめこんできたのだから、被ばくを受忍させるための人間への操作は、巧妙だ。

ゆえに、この操作は、つねに「暴力」の形をとってあらわれるとは限らない。

「被ばくについてさわぎすぎると、もっとも汚染されたところに暮らす人を傷つける」
「福島県民を傷つける」「被ばくの恐怖を語ることは差別にむすびつく」という風に、
人々に「内省」と「慎み」と「疚しさ」をうえつける。

この信仰はまた、免罪符にはことかかない。「食べて応援」「福島に観光」「被災者に寄り添う」「測って安心」。

けれど、免罪符がつねにそうであるように、結果として恩恵が与えられるのは
とうの人々ではなく、司祭権力であり、免責されるのも核シンジケートそのものなのだ。



「ダナイデスの水瓶神話」「FUKUSHIMAのダナイデス」

父親=家父長にいわれるままに従い、殺害をおこなったダナイデスの娘たち。
彼女たちはその罰として、永遠に、そこの抜けた水がめに水汲みの作業を続け
ることになった。

フランス、ブゲイ原発敷地付近に「FUKUSHIMAのダナイデス」
となずけられたグラフティが忽然とすがたをあらわした。

このところ、廃炉現場の不具合が断片的に報じられている。
東京電力初の廃炉工程の「遅れ」を発表。
東京オリンピック決定前に鳴りものいりで入札にわきたち、
320億円の公費を投入した「凍土壁」の失敗。

廃炉作業は当面、先がみえない。
廃炉作業自体が、永遠のダナイデスの水瓶神話のようだ。

それでいて、この事態は核惨事という「例外状態」のようであっても、
とっくに原子力産業、あるいは核災害史の「部分」にくみこまれていること、
原子力シンジケートの利益に十分にかなっているということだ。

日本政府は、この3年間、けちるところはけちっておきながら、
実証性にとぼしい廃炉作業にいったいいくらつぎこんできたのか。
福島第一原発は、原子力シンジケートの廃炉技開発のねがってもみない
「試験場」「実験場」にされてもいる。

 ---“アリストテレスのいうように、「事故(=偶有性)は、実体を露わにする」としたら「実体」
の発明は、同時に事故の発明でもある。

 それゆえに難破とはまさに船舶の「未来派的」発明品だし、墜落は超音速機のそれだ。
チェルノブイリが原子力発電のそれであるのも、全く同様だ”---

                     『アクシデントと文明』  ポール・ヴィリリオ


アレヴァの浄化装置、アルプスにはじまって、英国セラフィールドとの技術協力。
IAEAと米国の主導によるCSC条約加盟によって、米国核企業の福島廃炉現場
への具体的な参入も可能になった。

NHKの廃炉プロジェクト40年だったかの番組をみてみるといい。
困難な廃炉作業にたちむかうという「空虚」を、技術開発という「夢」で
粉飾したストーリーになっている。

福島県政の「復興神話」へのむやみな自負も、こうした国際原子力シンジケートと
廃炉国際ビジネスの存在と無関係ではない。

◆経産省「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」
ロボット開発で「浜通り=イノベーションコースト復興計画」

http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/648.html

核災害、原発事故の社会統制を福島という地方行政単位、
日本という主権国家の枠組み「だけ」でみていると、あしもとをすくわれる。



2014年10月2日木曜日

<時間の事故> ポール・ヴィリリオ 



帰還政策、中間貯蔵施設、 さまざまなことが、急速にすすんでいく。
どれも刹那的で、短絡的な政策。
今、考えるべきことは、
この<時間の事故>と、どう、抗うか、ということ。




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1986年は彼らにとっては、そして結局われわれみんなにとっても、
<事故の時間>が突如として、<時間の事故>になった。 


実際、当時の大気の流れが汚染された雲を大陸の西方に押しやったとしたら、

歴史の風は、その汚染を未来へ、時間の日没へと押しやったと言える。

そういうわけで、1980年代という過去の十年間は、チェルノブイリの影響の範囲外では

無傷のままだ。

それに対して未来はどうかと言えば、長期間の核照射によって全面的に汚染されているのだ。


「自然(nature)」は今ここでも損なわれているが、この運命の日を境に

「実物大(grandeur-nature)」の未来が、
1986年の放射性核種によってすでに汚染されたのである。 原発の事故がそれゆえにまさしく原罪的事故だとしたらこれが近い将来、 永遠に続くものとならないためには、 その昔、蛮族から城塞都市の周辺を守ったように、すぐにも未来から現在の周辺を守る必要が出てこよう。

ポール・ヴィリリオ 「原罪的事故」『アクシデントと文明』より

2014年2月10日月曜日

甲状腺がん74名に。第14回福島県民健康管理調査検討委員会の結果

2月7日、福島県民健康管理調査検討委員会の結果が発表された。甲状腺悪性腫瘍と確定・疑いは、去年からさらに13名増えて、74名にも及ぶ(ひとりはのちに良性とわかったからマイナス1名)。あきらかに疫学的にみて多発と指摘されているにもかかわらず、検討委員会の星北斗、鈴木俊一らはまだまだ事故との因果関係を否定するつもりらしい。
チェルノブイリ事故のあと、過小評価に血道をあげたWHOもIAEAですらも、この小児甲状腺がんは4000例にもおよんだと、みとめざるをえなかった健康被害。にもかかわらずなのか、だからこそ、なのか?
ママレボ通信:傍聴第14回・福島県民健康管理調査検討委員会が、くわしくレポートしている。
http://momsrevo.blogspot.jp/2014/02/14.html

さらに福島県立医大は、小児がん科を新設。と同時に甲状腺がんの遺伝子解析研究に着手。
前者はがんが増えることを見越して。後者は原発事故との因果関係を否定する材料をみつけだすために、としか思えない。

委員会ではこの70名あまりにも及ぶ甲状腺がんの件数について、委員長の星北斗が、あろうことか、しれーっと「想定内の数」だ、と言ってのけたとのこと。「利益のためなら多少のリスクはやむを得ない」としてきた原子力産業と放射線医学のありかたの本質がますます露呈されている。一方で、この74件はスクリーニングエフェクトのせいだなどといってるのだから、もうめちゃくちゃな筋の通らないロジック。
はい。そして、いつも福島県立医大の主張をそのまま鵜呑みにする、朝日、大沼ゆり記者の記事は以下。
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朝日デジタル版 2014年2月7日 より
 福島県は7日、東京電力福島第一原発の事故当時に18歳以下だった子どもの甲状腺検査で、結果がまとまった25万4千人のうち75人が甲状腺がんやがんの疑いがあると診断されたと発表した。昨年11月より検査人数は約2万8千人、がんは疑いも含めて16人増えた。県は「被曝(ひばく)の影響とは考えにくい」としている。
 また福島県立医科大は、被曝の影響の有無を解明するために、手術で切除した子どもの甲状腺がんの遺伝子を解析する研究を始める方針を明らかにした。
 県によると、新たにがんと診断されたのは7人。これで計33人になった。良性腫瘍(しゅよう)とわかった1人も含めた75人の事故当時の年齢は平均14・7歳だった。
 県民の被曝の健康影響の調査のあり方を検討する委員会の星北斗座長は、被曝の影響とは考えにくい理由として、チェルノブイリ事故で子どもの甲状腺がんが増えたのは、発生後4、5年からだったことなどを挙げた。
 子どもの甲状腺がんの遺伝子解析をする県立医大の鈴木真一教授(甲状腺外科)は「甲状腺がんの発生と関係することがわかっている遺伝子変異のほかに、未知の変異がないかを探し、放射線の影響で発生したかどうかを見分ける目印にならないか調べたい」と話す。被曝の影響で甲状腺がんが増えるとしても判明するのは何年も先になり、個々の甲状腺がんが被曝の影響でできたのかを見分ける方法も現時点ではないためだ。(野瀬輝彦、大岩ゆり)
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怒りがおさまらない。何に対して?この3年間という年月に対して。


子どもを守るという行為に、みそをつけた、すべての言論・言動に対して。
あのとき、黙っていたすべてのうしろすがたに対して。
あのとき、黙っていた、ひとりひとりの顔に対して。





2014年2月2日日曜日

いまいちど、万国の<放射脳>よ、団結せよ、だ。 さしあたり韓国・台湾・西海岸とか。

日本社会というのは、これだけの核惨事下にあっても、おこっていることをいまだに「ナショナル」な問題としてしかとらえないですむ機制が、強くはたらいているのだとおもう。いったいぜんたいどうして、なんでしょう。えてして「惨事」の当事者とはそんなものなのか?と考えてみるものの、いや、どうも、ちがう。

「日本食を文化遺産に」とかおこっていることを、ぬりこめるちからが、やはり強烈にはたらいているのだと思う。こちとら、だし汁の椎茸、昆布を思うままに手にいれられず、びくびくしていのに。「文化遺産登録」なんてしている、余裕とお金があるなら、もっと政府、もっと計測真面目にしろ・給食の基準値つくれ・ストロンチウムはどうなんだ?といいたい。

チェルノブイリ事故で、世界に汚染食品の問題が広まって、8000キロはなれた日本でも輸入食品から、あるいはお茶からも放射能が検出されたりして、距離を隔てても、濃淡はあれ「当事者」であるという危機感が覚醒しました(少しの時間差を含んでいることが重要だと思う)。
このみじかな、身体的な危機感、どこまでやってきやがんだ放射能こわいよという恐怖感ぬきには1988年~89年の反原発の声の広まりもなかったはず。

今、ちょうど、福島第一原発の事故から3年目を前に、とくに近隣の韓国、台湾、また米国西海岸あたりでは、放射能汚染食品に対する危機感がづーっとたかまりつづけています。

にもかかわらず、汚染水問題が広がるのと反比例するかのように、あれだけグローバリゼーション反対、とかいっていた人々も、この日本の東電という一企業がもたらした、グローバルな悪事となると、ごもごもと、はぎれが悪い。
せいぜい、自分でこそこそたべものを気にするぐらいで、正面からとらえきれていない。


とにもかくにも、韓国では、去年の汚染水問題と前後して、日本大使館前でしきりに抗議行動がつづけられ、日本からの海産物輸入をきびしくせよという声が高まりました。

またあろうことか、こうした韓国での騒動を受け、韓国政府が日本産海産物の輸入禁止措置をきびしくしたことに対して、自民党政府はWTOに提訴までしています。

恥ずかしい....。自分のしでかした海洋汚染を棚に上げ、韓国だけを提訴。じつはこれって、国内で食品汚染をもっぱら、〝騒がしくて「非科学的な」主婦や、うるさい母親たちの言っていることだ、というようになすりつけているのと相似形。

女性や母親に対する差別や偏見の構図、食べ物なんかでうるさく騒ぐのは女。子どものこととなるとヒステリーになって、という3.11直後に蔓延した意識(実情はそんなことはないのに)を、こんどは東アジアの国家関係に投影している結果でもあると思う。

それでもこうした放射能汚染に対する恐怖は台湾でも同様です。このところ、日本からの輸入食品に懸念する声が高まりつづけています。台湾の「主婦連合」という、1980年代後半にできたグループが、日本政府の放射能対策についてのシンポジウムと、汚染食品から身を守るための講座。

こういう動きを、日本の一群のひとたちは、「放射脳」(←すでにいささか古びた感が)よばわりするんだろうか?じぶんらの政府がしでかしてることを棚にあげて。

いまいちど、万国の放射脳よ、団結せよ、だ。さしあたり、韓国、台湾、アメリカの西海岸とか。

くらしにかかわる、すそ野の声、とてもだいじ。



           台湾主婦連盟 放射能を「悪霊」みたいにみなす。ただしい。

















2014年1月30日木曜日

トモダチ作戦・レーガン乗組員・米国議会で被ばく調査・決して被ばくを「ナショナル」な枠でだけで考えないように

いくらくりかえしてもしきれないことですが、被ばくを考える上で、決してナショナルな枠の中でだけ考えないこと。以下、米軍でいよいよ本格的な被ばく調査がはじまるらしい。

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2014年1月15日00時23分 朝日

 東京電力福島第一原発事故を巡り、東日本大震災で米軍の救援活動「トモダチ作戦」に参加した米空母「ロナルド・レーガン」の乗組員への健康状態を調査するよう、米議会が国防総省に義務づけることがわかった。

 米上下院がまとめた2014会計年度の歳出法案の中に盛り込まれており、議会は週内の可決を目指している。法案によると、任務に就いた後に健康状態が悪化したすべての事例を調べ、4月中旬までに議会に報告するよう求めている。また、被曝(ひばく)対策として米軍が取ったすべての措置を報告することも求める。
 同空母は震災当時、東北地方沿岸の海域で、米軍による被災者の捜索・救助活動や救援物資の輸送の拠点として活動していた。
 米国では、当時の乗組員が被曝で健康状態が悪化したとして、東京電力を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしており、原告の数は数十人に増えている。

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調べてみると、この法案の提案者は、国防省の軍医ジョナサン・ウッドソンJonathan Woodson 。9.11で危機管理医療を担当し、頭角をあらわした人物のよう。

一方、ロナルド・レーガンを統括する海軍は、トモダチ作戦に従事した乗組員たちの被ばくを認めることに関して消極的。Navy timesという海軍広報誌では「
クロスカントリーをしたときに浴びる自然放射線程度」としている。


ともあれ米国・国防総省、上下院でも兵士の被爆状態を調査しなくてはならない事態、であるというのに日本のこの、呑気さはなんだろう。ただし、この調査自体、両義性を含んだものとしてとらえておく必要がある。

というのも、広島の原爆投下から約一か月後、米軍は広島を早々に調査し、「爆発」以降も放射能障害に苦しんでいる人々の姿をまのあたりにしたのにもかかわらず、大々的に「残留放射能は存在しない」と発表したという経緯がある。

目的は、広島・長崎への軍の駐留を可能にするため。もうひとつは、原爆の非人道性が国際法違反として訴追されることをさけるため。

ナチスドイツの残虐性に抗する目的で使用された原子爆弾が、1か月をすぎてもなお放射能によって人々を苦しめていることをなんとしても隠ぺいする必要があり、瞬間的な、熱風・熱線による破壊力のみが強調され、残留放射能(爆発から1分以上たって放出された放射能を指す)は、まったく存在しないことにされた。

ちなみに米国は1943年から「放射能毒性小委員会」を組織し、その危険性、人体への影響については十分熟知していた。「にもかかわらず」...である。

こうした「被ばく」と「軍事」の歴史を踏まえると、福島第一原発によって被ばくしたレーガンの乗組員についても、「調査はしました。でも結果、被ばくは影響がない程度」 という論証材料にされかねない側面もある。

米軍にとっては、いまや災害支援は、プレゼンス誇示のため、戦争以上に重点をおかれた戦略(Operation other than WAR)。3.11の極東での大々的な展開に、負の側面を残したくないという意図もうかがえなくもない。また今後の米軍の展開にとって、兵士の士気をさげるような恐怖はとりのぞきたいという側面も。

.そのあおりで、日本社会の「被ばく」が、これ以上に過小評価されてはたまらない。

*ちなみに、いち早く単独で広島に到着したオーストラリアのジャーナリスト、ウィルフレッド・バーチェットは「広島では都市を破壊し、世界を驚かせた30日後も、人々はかの惨禍によって怪我をうけていない人でも、<原爆病>としかいいようのない未知の理由によって、いまだに不可解かつ、悲惨にも亡くなり続けている」という記事を打電し、その様子は世界を震撼させたもののその後米軍によって「デマ」扱いされ失脚の憂目にあう。

参考:隠蔽されたヒロシマ 
「いかにして陸軍省のタイムズ記者はピューリッツア賞を受賞したか」
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/09/by.html

2014年1月27日月曜日

東京ガールズコレクション 4月に福島県で開催。

3号機の謎の地下の温水はひょっとすると、チャイナ・シンドローム?の可能性もささやかれているのに。なさけないも通り越して、ただ、ただ怖い。こういうものを批判すると、即 郡山の線量×滞在時間から、被ばく線量をはじいてみせて「安全だっ!」という一群のひとたちがいる。だけど問題はそれ「だけ」にあるわけじゃない。もっともっと深く、この社会が煮こごらせてきた、何層ものよどみのようなものにある。

もう、何度もくりかえしてきたけど。そとで遊べないこども、家に生涯もどらないひとたち、こどもを抱えて背中を蹴られるように脱出したおかあさんたち、安心して子供を産みたいからと単身でも批判する若い女の子、今も移住の選択にゆれる人たち、なにより59名もの甲状腺がんの子ども。そのぜんぶを覆い隠すかのように、こういう復興利益まるだし、みたいのは、ひどい。

もうひとつ、「若い女の人たち」を使うというのもむごいよ。痛すぎる。

おもえば2012年、まだ食品の暫定基準が「緊急事態」として500ベクレルにひきあげられているさなかに、農林水産省は、ミス・キャンパスを使って、東北や福島の食品の「食べて応援」キャンペーンをしていた。娘子軍か?人さらい?山椒大夫の時代じゃあるまいに。


東京ガールズコレクション...服飾関係やら、売り子さんやら、モデルさん未満のような女の子たちの
割としきいの低い、かんじのイベント。そういえば、近所の子もでてるような。だからなおさら腹立たしい。若い女の子の、つつましい夢は,それだけでほほえましいし。罪はない。なのに.....こうやって先取りしていく、いやな力。


企画をもちかけたのは、東京のイベント会社。たぶんおんなじような仕組みなんだろうな。
スペクタクル社会という批判もびっくりなほど。過剰適応すぎる。
行政にうまくつけいる広告業やマーケティング業やイベント会社。たぶん原発事故よりずっーと前から、うかれた社会で煮こごってきた、はりぼて利権構造。そういうものも含めて、うんざりなのに。

それにくわえてまだ「東京」のに、求心力があるとおもっている、痛さ。
その錯誤っぷり、不遜ぶり。

そういう意味で、東京も福島も、もろともの断末魔。

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福島民友 2014年1月25日
郡山で華競演 4月に東京ガールズコレクション 本県復興を後押し


http://www.minyu-net.com/news/news/0125/news11.html
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国内最大級のファッションイベント「東京ガールズコレクション」が4月に郡山市で開かれる見通しとなったことが24日、分かった。復興支援の一環として検討されており、実現すれば東北・北海道地方では初開催。県内のほか、首都圏など県外からも多くの若者が集まることが予想され、本県の現状を若い世代から国内外に発信し、根強く残る風評被害を払拭(ふっしょく)する意味でも絶好の機会になりそうだ。 
 同コレクションは2005(平成17)年から首都圏を中心に開かれている。沖縄や名古屋、大阪、宮崎など地方都市でも行われ、女性向けファッション雑誌で活躍する日本のトップモデルが多数出演するほか、タレントや人気アーティストも参加し、最新のファッションショーやライブを繰り広げる一大イベント。
 関係者によると、本県開催は県と同市が主催団体とともに最終調整を進めており、2月中旬ごろにも正式決定する見込みという。「東京ガールズコレクションin福島2014」と銘打ち、同市のビッグパレットふくしまを会場に4月29日に開催する方向で調整している。会場にステージを組み、ファッションショーやアーティストのライブなどが披露されるとみられる。
(2014年1月25日 福島民友ニュース)

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福島民報 2014年1月25日 

トップモデルが郡山市に集結-。国内最大規模のファッションイベント「東京ガールズコレクション」が4月29日、郡山市のビッグパレットふくしまで催される。東北・北海道では初めての開催。若い女性に人気のイベントが、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの本県の復興を応援する。関連イベントを含め1万人余りの来場が見込まれる。関係者は「復興へ歩む福島の姿を全国に発信する絶好の機会」と期待している。
 ガールズコレクションは、最先端のファッションと華やかな演出が魅力で、全国から多くのファンが詰め掛ける。これまで、モデルの山田優さんや香里奈さん、土屋アンナさんをはじめ、歌手の安室奈美恵さんらがステージに立った。
 実行委員会によると、郡山市でのイベントの出演者や参加ブランドは調整中だが、トップモデルや有名女優らのファッションショー、アーティストのライブなどを計画。いわき市出身の高校生モデル松井愛莉(あいり)さん(17)の出演も検討しているという。
 若い女性が対象となる集客力のあるコレクションが開かれることは、原発事故からの復興に向け歩みを進める本県の大きな後押しとなる。放射線への不安を抱く若い世代に安全・安心な本県をアピールし、風評を払拭(ふっしょく)する。
 二歳の子どもを持つ郡山市の主婦中根裕美さん(29)は「有名なファッションショーを開催できること自体が復興の表れ。県外から多くの人が集まることで、避難している人が戻るきっかけになるのでは」と歓迎した。
 県と郡山市はイベント当日の職員派遣などで協力する。市の国分義之まちづくり政策課長(52)は「福島県、郡山市が原発事故に負けずに元気でいる姿を全国の人に見てほしい」と意気込む。各種大会やイベントの誘致活動に取り組む郡山コンベンションビューローの橋本正一事務局長(61)は「宿泊や飲食、観光への経済波及効果も期待できる」と喜んだ。
 コレクションは東京のイベント企画・制作会社「F1メディア」などでつくる実行委員会が主催する。県、郡山市の後援。

2014年1月20日月曜日

3号機 冷却水が格納容器から漏れたか 1月20日

via NHK   1月20日5時12分
よりにもよってメルトダウン燃料を冷やしている格納容器からのもれ...当然、線量は高すぎて作業不可能。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140120/k10014606581000.html
「東京電力福島第一原子力発電所3号機の原子炉建屋1階の床を流れている水を調べたところ、放射性物質の濃度が高く、メルトダウンした燃料を冷やした水が格納容器から漏れている可能性が高いことが分かり、東京電力では、詳しい漏えい箇所などを調べることにしています。
福島第一原発3号機では18日、原子炉建屋1階の床に幅30センチほどの水の流れがあり、継続的に排水口に流れ込んでいる様子をがれきの撤去作業をしていたロボットのカメラが捉えました。
東京電力が調べた結果、1リットル当たりの放射性物質の濃度はストロンチウムなどのベータ線と呼ばれる放射線を出す放射性物質が2400万ベクレル、セシウム137が170万ベクレルと建屋の地下にたまっている汚染水の値に近い、高い濃度であることが分かりました。
水の温度はおよそ20度で、原子炉の底の温度とほぼ同じだということです。
東京電力は、「地下にたまった汚染水よりやや濃度が低いが、何らかのルートで格納容器から漏れ出した水と考えられる」と話しています。
3号機ではメルトダウンした燃料を冷やすための水が原子炉に注がれ、格納容器の破損箇所から漏れて建屋の地下にたまっていますが、燃料の状態や格納容器の破損状況は分かっておらず、東京電力は詳しい調査を行うことにしています。」
ちなみに、18日の段階で、東電は「出所不明の水」「雨水の可能性高い」といっていた。今回ばかりは、認めるまでの期間が短すぎで、かえって不気味。
福島 原子炉建屋で出どころ不明の水 1月18日 19:31
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140118/k10014590541000.html
「東京電力福島第一原子力発電所3号機の原子炉建屋1階で、出どころが分からない水が床を流れているのが見つかり、東京電力が発生源などを調べています。
東京電力によりますと、18日午後、福島第一原発3号機の原子炉建屋1階で、遠隔操作のロボットを使ってがれきの撤去をしていたところ床を水が流れている様子がロボットに搭載されたカメラで確認されました。
水が流れていたのは、原子炉からタービンに送られる蒸気を事故の際などに遮断する弁がある「主蒸気隔離弁室」と呼ばれる部屋の入り口付近で水の流れは幅30センチほどあり、継続的に排水口に流れ込んでいて、汚染水がたまっている建屋の地下に向かっているとみられるということです。
原子炉建屋には、メルトダウンした燃料を冷やす水や使用済み燃料プールの水のほか、建屋が壊れているため、雨水などもあるとみられ、東京電力は、「現時点では、どこから流れてくるかや放射性物質の濃度は分からない」としています。
現場は放射線量が高く人が近づけないことから、東京電力は、カメラの映像を分析して、水の発生源などを詳しく調べています。」

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もって行き場のない怒りが、おさまらない。
とにかかく、収束だなんて、いわせない。



「チェルノブイリ法」の全訳:「チェルノブィリ原子力発電所における大災害の結果として放射線の影響を被った市民の社会的保護についての法律」

チェルノブイリ事故から5年目にできた、通称「チェルノブイリ法」。汚染地帯での移住適応、医療保障などをさだめています。その全文訳(仮訳)が公開されています。日本の「原発事故こども被災者支援法」にも参照されたもの。核惨事下で、参照点となる法。
ずっと読んでみたいとおもっていたところ、ロシア・東欧法の小森田秋夫さんの尽力による全文翻訳。じぶんのできることで状況に関与する。こうした地味な作業には敬意です。


「チェルノブィリ原子力発電所における大災害の結果として放射線の影響を被った市民の社会的保護についての法律」(1991年5月15日付)
http://ruseel.world.coocan.jp/Chernobyllaw.htm










2014年1月3日金曜日

東京新聞 2014年1月1日 「草の根安全神話」エートスプロジェクト@福島での記事

チェルノブイリ事故後の社会管理システムとして悪名高い、主にフランスの原子力産業が展開したエートスプロジェクト。

1991年にチェルノブイリ法ができて、移住の権利や保障が認められて......と一般的にいわれていますが、一方で、汚染地帯にすむこと、とどまることを「住民の主体的選択」の結果として、倫理的に称揚したプロジェクト。

そのエートスの福島での展開について、おそらくはじめて批判的に切り込んだ記事。
批判すると、「市民が自律的に、主体的にとりくんでいるんだから!」という反論も多く、触れることがむずかしかったのかな?とおもいますが。第一歩。
「国際原子力ロビーの犯罪」(以文社)http://www.ibunsha.co.jp/0314.html
で指摘されているように、このエートス・プロジェクトの問題は、住民たちの放射能に対する不安からのとりくみを、あたかも倫理的であり、美しいものであるかのように、認めてしまうという点。
移住の権利や充当な保障ではなく<被ばくの受忍>を正当化する核惨事後の社会管理システム。

いっそうの戦慄をおぼえるのは、こうした「自己責任」を正当化・美学化する空気に、新自由主義を経由したこの日本は慣れきってしまっていること。

放射能を避ける、怖かるというあたりまえの行為を、「草の根 安全神話」がづーっと迫害しつづけてきたことからもあきらか。
記事をみても当の福島でのプロジェクトは、閑古鳥が鳴いているようだけど、それはあえてこうしたプロジェクトが必要ないほど、日本の空気全体がすでにエートス・プロジェクトなこと。「自発的従属」におあつらえむきな国であること。


東京新聞 2014年1月1日